歴史
この路線は、伊勢神宮への鉄道アクセスを目的に設立された私鉄、参宮鉄道(さんぐうてつどう)の事業として始まった。最初の区間は1893年12月に開業し、津から相可(現在の多気)を経て宮川までを結んだ。1897年11月11日には山田(現在の伊勢市駅)まで延伸された。
この私鉄は1907年10月1日に鉄道国有法により国有化され、官設鉄道の手に移った。1909年10月12日には、国有鉄道線路名称の制定によって亀山 - 山田間(当時およそ57.45キロメートル)が参宮線となった。この段階では路線は多気ではなく亀山を起点としていた。1911年7月21日、最後の区間である山田 - 鳥羽間が開業し、亀山から鳥羽までが全通した。
伊勢神宮への参詣客を運ぶため、参宮線は戦前には幹線と同等の扱いを受け、東京や大阪、さらに遠く宇野からも直通列車が運行された。戦時中の1944年には、いくつかの区間が複線から単線へと縮小され、レールは軍需資材として撤去された。戦後も参詣と地域輸送の路線としてにぎわったが、六軒事故の舞台ともなった。1956年10月15日、六軒駅構内で列車が脱線し、42名が死亡、94名が負傷した。
1959年7月15日、紀勢本線の全通に伴い亀山 - 多気間(42.5キロメートル)が同線に編入され、参宮線は多気駅で紀勢本線から分岐する、はるかに短い多気 - 鳥羽間となった。これが現在の参宮線である。1963年4月1日には外城田・五十鈴ケ丘・松下の3駅が開業した。
路線の地位への決定的な打撃は、私鉄との競合からもたらされた。1970年3月に近鉄鳥羽線が全通し、特急列車が志摩線の賢島駅まで直通運転を始めると、参宮線は純然たるローカル線の地位へと転落した。貨物営業は1969年から1986年にかけて段階的に廃止された。1973年7月30日には最後の蒸気機関車が引退し、路線は完全に無煙化(ディーゼル化)された。
1987年4月1日の日本国有鉄道の分割民営化により、参宮線は新たに発足した東海旅客鉄道に承継された。JR東海のもとで路線は静かなローカル線として存続し、キハ11形やのちのキハ25形といった気動車によって運行され、名古屋からの快速「みえ」が乗り入れて伊勢・鳥羽方面を結んでいる。並行する近鉄線とは競合関係にあり、乗客数ではなお近鉄が上回っている。
この路線の駅
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年表
- 189312月:参宮鉄道が最初の区間、津 - 相可(現在の多気) - 宮川間を、伊勢への私設参詣路線として開業。
- 189711月11日:宮川 - 山田(現在の伊勢市駅)間が延伸開業。
- 190710月1日:鉄道国有法により参宮鉄道が国有化され、官設鉄道の一部となる。
- 190910月12日:国有鉄道線路名称の制定により、亀山 - 山田間(約57.45km)が参宮線となる。当時の起点は亀山。
- 19117月21日:最後の区間、山田 - 鳥羽間が延伸開業して全通し、亀山から鳥羽までが結ばれる。
- 1944いくつかの区間が複線から単線に縮小され、レールが軍需資材として撤去される。
- 195610月15日:六軒駅構内で列車脱線事故(六軒事故)が発生し、死者42名・負傷者94名を出す。
- 19597月15日:紀勢本線の全通に伴い、亀山 - 多気間(42.5km)が同線に編入され、参宮線は多気駅で紀勢本線から分岐する多気 - 鳥羽間となる。
- 19634月1日:外城田・五十鈴ケ丘・松下の3駅が開業。
- 19697月1日:貨物営業の段階的廃止が始まる(伊勢市 - 鳥羽間)。
- 19703月:近鉄鳥羽線が全通し特急が賢島まで直通すると、参宮線は完全なローカル線に転落する。
- 19737月30日:蒸気機関車がなくなり、無煙化(ディーゼル化)される。
- 19864月1日:最後の貨物営業(多気 - 宮川間)が廃止され、当線の貨物輸送が終了する。
- 19874月1日:国鉄分割民営化により、当線は東海旅客鉄道(JR東海)に承継される。
- 19913月16日:名古屋からの快速「みえ」が当線へ乗り入れ、伊勢・鳥羽方面を結ぶ。