能勢電鉄の路線約2分で読めます

妙見線

Myoken Line

妙見線(みょうけんせん)は、兵庫県と大阪府にまたがる営業キロ12.2キロメートルの近郊鉄道で、阪急グループの主要子会社である能勢電鉄(のせでんてつ、略称「能勢電」)が運営している。阪急宝塚線と接続する川西能勢口を起点に北へ向かい、妙見口に至る。

軌間は1,435ミリメートルの標準軌で、全線に14の駅がある。妙見山の能勢妙見堂への参詣客を運ぶために建設されたが、その後はニュータウン群を結ぶ通勤路線へと発展してきた。接続していたケーブルカーは2023年12月4日に廃止され、妙見堂へは現在、妙見口から徒歩で登る。

神戸箕面市池田市2 km
妙見線の路線図 · 大阪府・兵庫県 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

運営会社は1908年5月23日に能勢電気軌道株式会社として設立された。その目的は、能勢妙見堂への参詣客と能勢の特産品を輸送することにあった。しかし最初の列車が走り始めるまでにはなお数年を要し、路線はその後15年ほどをかけて段階的に開業していった。

最初の区間である能勢口(現在の川西能勢口)から一ノ鳥居までは1913年4月13日に開業し、当初から直流600ボルトで電化され、旅客と貨物の輸送を行った。続いて1917年8月8日には池田駅前(のちの川西国鉄前)から能勢口までの短い区間が開業し、川西で国有鉄道と連絡した。そして1923年11月3日、一ノ鳥居から妙見(現在の妙見口)までの区間が完成して全線が開通した。

能勢電気軌道は早くから阪急と深く結び付いていた。一ノ鳥居 - 妙見間の建設に向けた増資には、阪急も資本参加した。1978年10月1日に現社名の能勢電鉄株式会社に改称し、今日では阪急の主要子会社である。

1960年代に入って沿線の宅地開発が進むと、路線は通勤輸送の増加に対応して順次改良された。利用の多い南側は段階的に複線化され、川西能勢口 - 鶯の森間が1967年11月30日に、鶯の森 - 平野間が1969年10月5日に、平野 - 山下間が1977年4月24日に複線となった。国有鉄道へ連絡する短い区間であった川西国鉄前 - 川西能勢口間は、川西能勢口駅付近の駅前再開発と連続立体交差事業に伴い、1981年12月20日に廃止された。

1995年3月26日、架線電圧が直流600ボルトから1,500ボルトへと昇圧された。1997年11月16日のダイヤ改正では特急「日生エクスプレス」が新設され、翌日から日生線の日生中央から阪急宝塚線を経て大阪の梅田まで直通運転を始めた。これにより、ニュータウンの通勤客はラッシュ時に乗り換えなしで都心へ向かえるようになった。

妙見線は実質的に阪急宝塚線の支線のような扱いとなっている。普通列車は、複線化された南側の区間を通って川西能勢口 - 日生中央間を走るのが基本で、山下では北側の区間を妙見山への玄関口である妙見口まで往復するシャトル列車に接続する。

この路線の駅

年表

  • 19085月23日:運営会社が能勢電気軌道株式会社として設立される。
  • 19134月13日:最初の区間、能勢口(現・川西能勢口) - 一ノ鳥居間が旅客・貨物輸送で開業し、直流600Vで電化。
  • 19178月8日:池田駅前(のちの川西国鉄前) - 能勢口間が開業し、川西で国有鉄道と連絡する。
  • 1922一ノ鳥居 - 妙見間の建設に向けた増資で、阪急が資本参加する。
  • 192311月3日:一ノ鳥居 - 妙見(現・妙見口)間が開業し、全線が開通する。
  • 1961阪急の子会社となる。
  • 196711月30日:川西能勢口 - 鶯の森間が複線化される。
  • 196910月5日:鶯の森 - 平野間が複線化される。
  • 19774月24日:平野 - 山下間が複線化される。
  • 197810月1日:社名を能勢電鉄株式会社に変更する。
  • 198112月20日:川西国鉄前 - 川西能勢口間が廃止される。
  • 19953月26日:架線電圧が直流600Vから1,500Vに昇圧される。
  • 199711月16日:ダイヤ改正で特急「日生エクスプレス」が新設される(運行開始は翌日)。日生線から阪急宝塚線を経て梅田まで直通運転を行う。

出典