歴史
1872年、東京と横浜のあいだに日本初の鉄道が1,067mm軌間で開業した。この軌間が選ばれた理由については、「イギリスから植民地扱いされていた」「山が多く急曲線に強い軌間が適していた」という二つの説がしばしば挙げられるが、いずれにも疑問が呈されている。国の鉄道網はその後も同じ狭軌で広げられ、狭軌が国家標準となった。この軌間はしばしば「ケープゲージ」と呼ばれるが、その名は日本にではなく南部アフリカに由来し、同じ3フィート6インチ軌間がケープ植民地で用いられたことによる。
狭軌に誰もが満足していたわけではない。1887年ごろには陸軍などから1,435mmへの改軌が求められたが、鉄道局長の井上勝は、東海道本線さえ開業していない現状では路線の拡大を優先すべきだとして、これをはねつけた。その後も輸送量が増えるにつれて論争は何度か起こり、20世紀初頭には国の政策をめぐる論争となった。1908年に新設された鉄道院の初代総裁となった後藤新平は、路線網を1,435mm標準軌へ改める「改主建従」の立場を取り、1909年には1,435mmと1,067mmの建設費・営業費を比較する調査を行わせた。鉄道院では後藤の指示で改軌の技術的な検討も行われた。広い軌間は、より速く、より重い列車を約束していた。
これに対峙したのが、原敬率いる立憲政友会の「建主改従」の立場だった。限られた財源は、すでに存在する幹線を改軌するよりも、安価な狭軌の路線をできるだけ全国に張り巡らせることに使うべきだ、という主張である。改軌の膨大な経費は政党間の政争の具となり、決着をつけたのは政治だった。原は首相に就くと床次竹二郎を鉄道院総裁に据え、1919年(大正8年)2月24日、床次は貴族院の特別委員会で広軌は不要であると答弁した。同年、原敬内閣は路線網の拡大を優先する方針を取り、1,435mmへの改軌計画はここで完全に絶たれた。国は代わりに狭軌の路線網を広げていくことになる。
それでも標準軌は、狭軌の国有鉄道と並んで、主に民間が建設した都市・都市間路線で用いられていった。関西の私鉄の多くは——そしていくつもの地下鉄や路面電車の路線も——1,435mmで敷かれた。別の軌間で開業し、のちに改軌した事業者もある。たとえば京成電鉄は、1959年(昭和34年)10月9日から12月1日にかけて、全長75.7kmの路線網をまるごと改軌した。2009年ごろの時点で、日本には1,067mmの路線が約22,301km(13,857マイル)あったのに対し、1,435mm標準軌は約4,251km(2,641マイル)で、さらに小さな二つの軌間も残っていた。
それらの小さな軌間が、つぎはぎ模様をいっそう豊かにしている。約96km(60マイル)の線路は、珍しい1,372mm(4フィート6インチ)の「スコッチゲージ」で敷かれている。今日では京王線、それに軌間を合わせて建設された都営新宿線、東京に残る二つの路面電車(都電荒川線と世田谷線)、そして函館市電がこれを用いている。さらに48km(30マイル)の地方路線が、かつて日本の軽便鉄道で広く使われた極めて狭い762mm(2フィート6インチ)軌間を保っている。軌間がこれほど重要なのは直通運転のためである。列車がある会社の線路から別の会社の線路へそのまま乗り入れられるのは、レールの間隔が同じときに限られる。だから軌間が異なれば、ほかの点ではつながっている路線網も分断される。
1964年(昭和39年)に開業した東海道新幹線は、旧来の狭軌線の曲線や幅の制約を受けない、まったく別個の専用線として1,435mm標準軌で敷かれ、1,067mmの路線網のどの列車よりもはるかに速く走ることができた。その代償として、新幹線の列車は高速線から外れた都市へは到達できなかった。数十年後の答えが「ミニ新幹線」である。地方都市まで本格的な新幹線を新設するのではなく、JR東日本は既存の狭軌路線を1,067mmから1,435mmに改軌し、新幹線の列車がそのまま直通できるようにした。山形新幹線は奥羽本線の福島〜山形間を改軌し、1992年(平成4年)7月1日に400系で開業、のちに1999年(平成11年)12月4日に新庄まで延伸した。秋田新幹線は1997年(平成9年)3月22日にこれに続き、盛岡〜大曲間の田沢湖線を改軌するとともに、大曲〜秋田間の奥羽本線では標準軌と狭軌の線路を並べる形とし、E3系がこれを担った。改軌したのはレールの間隔だけで車両限界は在来線のままのため、ミニ新幹線の車両は本格的な新幹線車両より幅が狭く造られ、改軌区間の最高速度も高規格な狭軌在来線と同じ時速130kmである。
年表
- 1872日本初の鉄道・東京〜横浜間が1,067mm(3フィート6インチ)軌間で開業。
- 1873ケープ植民地で3フィート6インチ軌間が用いられる。「ケープゲージ」の名の由来。
- 1887このころ、陸軍などから1,435mmへの改軌が要求されるが、鉄道局長・井上勝は路線の拡大を優先すべきとしてこれをはねつける。
- 1908後藤新平が新設の鉄道院の初代総裁に就任し、1,435mm標準軌への改軌を提案。
- 1909後藤が1,435mmと1,067mmの建設費・営業費を比較する調査を行わせる。
- 19192月24日、原敬内閣の鉄道院総裁・床次竹二郎が貴族院特別委員会で広軌は不要と答弁。原内閣は路線網の拡大を優先する方針(建主改従)を取り、1,435mmへの改軌計画が終焉。
- 1959京成電鉄が全長75.7kmの路線網をまるごと改軌(10月9日〜12月1日)。
- 1964東海道新幹線が、狭軌網とは別個の新規1,435mm(4フィート8インチ半)標準軌路線として開業。
- 1992山形新幹線が7月1日開業。奥羽本線の福島〜山形間が1,067mmから1,435mmに改軌され、新幹線が直通するミニ新幹線となる。400系が運行。
- 1997秋田新幹線が3月22日開業。田沢湖線盛岡〜大曲間が1,067mmから1,435mmに改軌されてミニ新幹線となり、大曲〜秋田間の奥羽本線は標準軌と狭軌の線路を並べる形とされる。E3系が運行。
- 1999山形新幹線が新庄まで延伸(12月4日)。
- 2009報告された路線網:1,067mm狭軌が約22,301km、1,435mm標準軌が約4,251km、1,372mmが96km、762mmが48km。