歴史
渋沢栄一は東京府荏原郡における理想的な住宅地「田園都市」の開発を目的に、1918年9月に田園都市株式会社を設立した。同社は1922年から洗足で宅地を分譲し、同年9月2日に鉄道部門を分離して目黒蒲田電鉄を設立した。1923年からは多摩川台地区(後の田園調布)でも分譲を行った。目黒蒲田電鉄は、田園都市株式会社と地権者が共同開発した分譲地の付加価値を高めるため、省線と結ぶ交通手段として設立されたものであり、都市開発の一環としての鉄道事業という位置付けは設立当初からのものであった。田園都市株式会社を実質的に経営していた小林一三(阪急電鉄の創業者)の推挙により、鉄道省出身で武蔵電気鉄道の経営に携わっていた五島慶太が1922年10月に専務取締役として目黒蒲田電鉄に入り、同社を東都最大の私鉄に育成して、1936年には同社の社長に就任した。五島は東急の事実上の創業者と認識されている。1923年3月11日に目黒駅 - 丸子駅(現・沼部駅)間が開通し、同年11月1日には目蒲線(目黒駅 - 蒲田駅間)が全通した。(旧)東京横浜電鉄(1924年10月25日に武蔵電気鉄道から社名変更)は、1926年2月14日に丸子多摩川駅 - 神奈川駅間、1927年8月28日に渋谷駅 - 丸子多摩川駅間を開通させて「東横線」と呼称し、1932年3月31日に渋谷駅 - 桜木町駅間が全通した。沿線では1924年の土地の等価交換による東京工業大学の大岡山移転や1929年の慶應義塾大学への日吉台の土地の無償提供などの学校誘致、1934年11月の渋谷での東横百貨店開業を進め、「乗客は電車が創造する」という小林一三の手法を五島慶太が継承した。また五島は競合する鉄道の吸収も進め、1933年に川崎財閥が持つ池上電気鉄道(現在の池上線を運営)の株式を一夜にして買い取ったうえで1934年10月1日に同社を合併し、1938年4月には玉川電気鉄道(世田谷線などの母体)を合併した。その強引な手法から、五島は「強盗慶太」の異名をとった。1939年10月1日には目黒蒲田電鉄が(旧)東京横浜電鉄を合併して同月16日に(新)東京横浜電鉄と改称し、現在の東急の基本となる路線がほぼ一元的に運営されるようになった。
太平洋戦争下の1942年5月1日、陸上交通事業調整法による戦時統制を背景に京浜電気鉄道・小田急電鉄を合併して東京急行電鉄と改称し、1944年5月31日には京王電気軌道も合併した。買収した会社は30社以上、路線延長は約320kmに及び、北は中央線から南は三浦半島、西は箱根までをテリトリーとする「大東急」の時代となった(五島慶太は1944年2月に運輸通信大臣就任のため社長を辞任)。戦後は1947年に相模鉄道や静岡鉄道など傘下会社の持株の大部分を放出し、1948年5月に百貨店部門を東横百貨店(現・東急百貨店)として分離、同年6月1日の会社再編成で京浜急行電鉄・小田急電鉄・京王帝都電鉄(現・京王電鉄)を分離・設立して大東急は再編された。再発足した東京急行電鉄は1949年5月16日に東京証券取引所に再上場した。
戦後の発展を方向づけたのは、1951年に公職追放から復帰した五島慶太が提唱した多摩田園都市構想である。1953年1月に発表された城西南地区(川崎市中部・横浜市北部)開発の構想は、大山街道(現・国道246号)沿いに500万坪(1650万平方メートル)を買収し、人口膨張が進む東京都に対して小都市を連ねた「第二の東京都」をつくるというものであった。1963年10月11日には大井町線を田園都市線と名称変更し、1966年4月1日に溝の口駅 - 長津田駅間を開業、1984年4月9日のつきみ野駅 - 中央林間駅間開業で田園都市線が全線開通して多摩田園都市の基礎的インフラが完成した。1969年5月に廃止された玉川線の継承路線である新玉川線(渋谷駅 - 二子玉川園駅間)は1977年4月7日に開通し、1979年8月からは田園都市線が新玉川線を経由して半蔵門線方面へ直通運転を開始した。東横線は1964年8月29日に日比谷線と直通運転を開始した。2000年8月6日には東急が最初に敷設した路線である目蒲線を目黒線と東急多摩川線の2系統に再編し、目黒線は南北線・都営三田線(2000年9月)、埼玉高速鉄道線(2001年3月)との相互直通運転を開始した。2004年2月1日には東横線がみなとみらい線と相互直通運転を開始し(1月30日限りで横浜駅 - 桜木町駅間の営業を終了)、2013年3月16日には渋谷駅 - 代官山駅間の地下化により副都心線・東武東上本線・西武池袋線などとの相互直通運転を開始して、49年間続いた日比谷線との直通運転を終了した。グループ経営では、1954年に社長へ就いた五島慶太の息子の五島昇が鉄道業とその関連性の高い事業への「選択と集中」を進める一方で、航空事業への進出や東急エージェンシー・東急建設の設立、ホテル観光事業の拡大などの多角化を図り、1980年代終わりの最盛期にはグループ会社400社・従業員8万人を数えたが、バブル崩壊後の業績不振(1999年3月末時点でグループ全体の有利子負債3兆円以上)を受けて再編が行われ、加盟社数は約220社へ減少した。
現在の鉄道総営業距離は110.7km(2025年3月31日時点)で大手私鉄16社中10位ながら、会社分割前の営業キロ当たりの単体売上高は25.4億円/kmと東京メトロの約1.5倍で他を引き離していた(2011年度)。こどもの国線は施設を横浜高速鉄道が保有し、東急が運営している。また、みなとみらい線では横浜高速鉄道から運行を受託している。会社分割後の2020年3月22日には世田谷線・こどもの国線を除く東急線全駅でホームドアまたはセンサー付固定式ホーム柵の設置を完了し(大手民鉄では初)、2023年3月18日には東急新横浜線が開業して東横線・目黒線が相鉄新横浜線を経由した相鉄線との相互直通運転を開始した。2022年には目黒蒲田電鉄の創立から100周年を迎えた。
年表
- 19189月2日、渋沢栄一が理想的な住宅地「田園都市」の開発を目的とする田園都市株式会社を設立した。
- 19229月2日、田園都市株式会社の鉄道部門を分離独立させ目黒蒲田電鉄を設立。10月2日には、東急の事実上の創業者とされる五島慶太が専務取締役に就任した。
- 19233月11日、目黒駅 - 丸子駅(現・沼部駅)間が開通。11月1日には目蒲線目黒駅 - 蒲田駅間が全通した。
- 193910月1日、目黒蒲田電鉄が(旧)東京横浜電鉄を合併し、10月16日に(新)東京横浜電鉄と改称。現在の東急の基本となる路線がほぼ一元的に運営されるようになった。
- 19425月1日、陸上交通事業調整法による戦時統制を背景に京浜電気鉄道・小田急電鉄を合併し、東京急行電鉄に商号変更した。
- 19486月1日、会社再編成により京浜急行電鉄・小田急電鉄・京王帝都電鉄を設立して分離。大東急が再編された。
- 19531月、五島慶太の構想に基づく城西南地区開発の計画を発表。大山街道沿いに500万坪を買収して「第二の東京都」をつくるもので、後の多摩田園都市開発につながった。
- 19664月1日、多摩田園都市の動脈として田園都市線(1963年10月に大井町線から名称変更)溝の口駅 - 長津田駅間が開通。
- 19844月9日、つきみ野駅 - 中央林間駅間が開通して田園都市線が全線開通し、多摩田園都市の基礎的インフラが完成した。
- 20008月6日、東横線多摩川駅 - 武蔵小杉駅間の複々線化に伴い、東急が最初に敷設した路線である目蒲線を目黒線と東急多摩川線の2系統に再編。目黒線は同年9月に南北線・都営三田線との相互直通運転を開始した。
- 20042月1日、横浜高速鉄道みなとみらい線の開業に伴い東横線が相互直通運転を開始。1月30日限りで横浜駅 - 桜木町駅間の営業を終了した。
- 20133月16日、東横線渋谷駅 - 代官山駅間の地下化により、東京メトロ副都心線・東武東上本線・西武有楽町線・西武池袋線との相互直通運転を開始し、49年間続いた日比谷線との直通運転を終了した。
- 20199月2日、東京急行電鉄株式会社が「東急株式会社」に、東急電鉄分割準備株式会社(4月25日設立)が「東急電鉄株式会社」にそれぞれ商号変更。10月1日、会社分割により東急株式会社の鉄軌道事業を東急電鉄株式会社が継承した。
- 20233月18日、東急新横浜線が開業し、東横線・目黒線が相鉄新横浜線を経由して相鉄本線・相鉄いずみ野線との相互直通運転を開始した。
出典
最終更新:2026年10月16日