歴史
初代の相模鉄道は、神奈川県中央部を南北に横断して東海道線と中央線との間を結ぶ軽便鉄道として計画され、1916年6月26日に発起人が茅ケ崎 - 寒川間の敷設免許を取得、1917年12月18日に創立総会を開催し、翌1918年1月4日に高座郡茅ヶ崎町で設立された。1921年9月28日に茅ケ崎駅 - 寒川駅間を開業し、1926年に倉見駅・厚木駅まで、1931年4月29日に橋本駅まで全通し、1936年1月15日からは省線八王子駅への乗り入れも開始した。相模川の砂利の採取販売も経営の柱であり、一時は旅客輸送収入を上回る収益を上げ、「砂利鉄」と陰口を叩かれた時期もあった。一方、現在の相鉄本線を建設した神中鉄道は、鎌倉郡瀬谷村の素封家・小島政五郎らが中心となって起業し、1917年12月2日に創立総会を開催、同月15日に神中軌道として設立された(1919年6月10日に神中鉄道へ商号変更)。1926年5月12日に二俣川駅 - 厚木駅間を開業して同年7月に厚木駅で相模鉄道と接続し、1933年12月27日に横浜駅への乗り入れを果たした。両社とも経営は苦しく、神中鉄道は1939年9月に東京横浜電鉄(後の東京急行電鉄)の傘下に入って五島慶太が社長に就任し、相模鉄道も1941年6月に昭和産業の持株放出により東京横浜電鉄の傘下となった。1941年11月には相模国分 - 海老名間の新線が完成して相模国分 - 厚木間は貨物線(厚木線)となり、海老名駅から小田急線相模厚木駅(現・本厚木駅)への片乗り入れも開始された(1964年12月1日廃止)。
1943年4月、相模鉄道は神中鉄道を吸収合併し、両路線はそれぞれ「相模鉄道相模線」「相模鉄道神中線」となった。しかし1944年6月、相模線と西寒川支線が戦時買収によりバイパス路線として国有化され(現在のJR相模線)、その後相模鉄道に戻ることはなく、旧神中鉄道の区間のみが相模鉄道の路線として存続した。厚木飛行場の開設により神中線の輸送量は急増し、本線は1944年9月に全線電化を完了(1946年12月に全線1,500ボルト化)した。1945年6月から1947年5月までは鉄道事業一切を親会社の東京急行電鉄に経営委託したが、1947年6月に川又貞次郎ら役職員が東急保有の株式(発行済み株式の約70%)を取得して独立した。1951年には東急の五島慶太が横浜駅西口の土地を狙い、小田急電鉄を通じて買収を仕掛けたが、同年9月6日の臨時株主総会で資本金の倍増案を僅差で可決して阻止し、9月12日には公正取引委員会が小田急に株式の放出を命じる裁定を下した。ただし小田急電鉄は2021年まで筆頭株主の地位にあった。1952年には横浜駅西口の土地2万4688平方メートルをスタンダード・ヴァキューム・オイルから買収し、後の横浜髙島屋・相鉄ジョイナス・ダイヤモンド地下街などの開発により、鉄道事業を超える収益源を確立した。本線の複線化は1951年11月から段階的に進められ、1974年3月に全線で完成した。
1976年4月にいずみ野線二俣川駅 - いずみ野駅間が開業し、1990年4月のいずみ中央駅延伸により日本民営鉄道協会における大手の要件を満たし、同年5月31日に正式に大手民鉄の認定を受けた。バブル崩壊後の1990年代後半からはグループ再編によりバス事業・不動産事業などの分社化が進み、2009年9月16日に旧・相模鉄道は相鉄ホールディングスへ商号を変更して、鉄道事業を現在の相模鉄道株式会社に分社した。2014年4月27日のダイヤ改正では、それまで特急を運行していない唯一の大手私鉄であった相鉄に初の「特急」が導入され、2016年3月24日には設立の翌年から97年間続いた砂利採取販売業から完全撤退した。2016年からは車体塗装の「YOKOHAMA NAVYBLUE」への塗り替えが始まり、2019年には東急直通用車両の20000系が相鉄初のローレル賞に選ばれた。2019年11月30日、鉄道・運輸機構により整備された相鉄新横浜線西谷駅 - 羽沢横浜国大駅間が開業し、東海道貨物線経由の相鉄・JR直通線としてJR東日本との直通運転を開始した。相鉄初の他社との相互直通運転であり、相鉄の車両が埼京線を介して東京都内に乗り入れるようになった。2023年3月18日には相鉄新横浜線が新横浜駅まで延伸開業して同時開業の東急新横浜線と接続し、相鉄・東急直通線として東急電鉄・東京メトロ・都営地下鉄・埼玉高速鉄道・東武鉄道との直通運転を開始した。相鉄初の地下鉄路線への乗り入れと自社車両の埼玉県内での定期営業運転が実現し、同年には本線・いずみ野線の正式線名が「相鉄本線」「相鉄いずみ野線」に改められた。相鉄新横浜線は鉄道・運輸機構が保有し、運行は相鉄に委託されている。
年表
- 191712月18日、初代の相模鉄道が創立総会を開催した(会社設立は翌1918年1月4日、高座郡茅ヶ崎町)。現在の本線を建設した神中鉄道も同年12月2日に創立総会を開催し、12月15日に神中軌道として設立された。
- 19219月28日、相模鉄道が最初の区間である茅ケ崎駅 - 寒川駅間(現在のJR相模線の一部)を開業した。
- 19265月12日、神中鉄道が現在の相鉄本線の最初の区間となる二俣川駅 - 厚木駅間を開業した。7月15日には相模鉄道が厚木駅まで開業し、両鉄道が接続した。
- 193312月27日、小刻みな延伸を重ねてきた神中鉄道がついに横浜駅への乗り入れを果たした。
- 19434月、東京急行電鉄傘下の両社のうち相模鉄道が神中鉄道を吸収合併し、両路線はそれぞれ「相模鉄道相模線」「相模鉄道神中線」となった。
- 19446月、相模線(茅ケ崎駅 - 橋本駅間)と西寒川支線がバイパス路線として戦時買収により国有化され(現在のJR相模線)、旧神中鉄道の区間のみが相模鉄道の路線として残った。9月には本線全線の電化が完成した。
- 19476月、東急から派遣されていた川又貞次郎ら役職員が東急保有の株式(発行済み株式の約70%)を取得し、東急から独立した(1945年6月から1947年5月まで鉄道事業一切は東急に経営委託されていた)。
- 19519月6日、臨時株主総会で増資による資本金倍増案が僅差で可決され、東急の五島慶太が小田急電鉄を通じて仕掛けた買収が阻止された。9月12日には公正取引委員会が小田急に株式の放出を命じる裁定を下した。
- 1952横浜駅西口の土地2万4688平方メートルをスタンダード・ヴァキューム・オイルから買収した。後に横浜髙島屋や相鉄ジョイナス、ダイヤモンド地下街が建ち、鉄道事業を超える収益源に成長した。
- 19764月、いずみ野線二俣川駅 - いずみ野駅間が開業した。
- 19904月、いずみ野線がいずみ中央駅まで延伸され、日本民営鉄道協会における大手の要件を満たしたため、5月31日に正式に大手民鉄としての認定を受けた。
- 20099月16日、持株会社体制への移行に伴い旧・相模鉄道が相鉄ホールディングスに商号を変更し、鉄道事業は現在の相模鉄道株式会社(1964年11月24日に株式会社大関酒造として設立され、2009年1月22日に相鉄準備会社株式会社へ商号変更していた休眠子会社)が承継した。
- 201911月30日、相鉄新横浜線西谷駅 - 羽沢横浜国大駅間が開業し、東海道貨物線経由の相鉄・JR直通線としてJR東日本との直通運転を開始した。相鉄初の他社との相互直通運転であり、相鉄の車両が埼京線を介して東京都内に乗り入れるようになった。
- 20233月18日、相鉄新横浜線が新横浜駅まで延伸開業し、同時開業の東急新横浜線と接続、相鉄・東急直通線として東急電鉄・東京メトロ・都営地下鉄・埼玉高速鉄道・東武鉄道との直通運転を開始した。相鉄初の地下鉄路線への乗り入れと自社車両の埼玉県内での定期営業運転となり、同年には本線・いずみ野線の正式線名が「相鉄本線」「相鉄いずみ野線」に改められた。