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名古屋鉄道株式会社

Nagoya Railroad Co., Ltd.

名古屋鉄道株式会社(なごやてつどう、英: Nagoya Railroad Co.,Ltd.)は、東海地方の愛知県・岐阜県を基盤とする鉄道会社である。通称は名鉄(めいてつ、Meitetsu)。日本の大手私鉄の一つで、民営鉄道としては日本で3番目の歴史を持つ老舗企業である。愛知・岐阜両県に総営業距離では近畿日本鉄道・東武鉄道に次いで日本の私鉄第3位(JRを除く)の444.2kmにおよぶ路線網と276駅を擁し、中京圏を本拠とする唯一の大手私鉄である。

2025年3月時点の路線数は20、車両数は1,080両である。本社を名古屋に置き、運輸・流通・ホテル・レジャー・不動産などを手がける名鉄グループの中核的企業でもある。その起源は、1894年(明治27年)6月25日に名古屋市内で馬車鉄道を運行する名目で設立された愛知馬車鉄道である。同社は計画を電気鉄道に変更して1896年(明治29年)に名古屋電気鉄道に社名を改め、1898年(明治31年)には京都電気鉄道に次ぐ日本で2番目の電車運行を開始した。1912年(大正元年)からは市内線に続いて郊外路線を開業し、尾張北中部へ路線を広げていった。

A Meitetsu 2000 series ‘μ-SKY’, the airport limited express to Chūbu Centrair.
A Meitetsu 2000 series ‘μ-SKY’, the airport limited express to Chūbu Centrair.(英語) · 船 長 · CC0 · Wikimedia Commons

歴史

1921年(大正10年)6月13日、市内線の市営化を前に名古屋電気鉄道の郊外線部門を引き継ぐ(旧)名古屋鉄道が設立され、第二の創業とされた。この日は現在の名古屋鉄道の設立日でもある。翌1922年(大正11年)に市内線を名古屋市へ譲渡した名古屋電気鉄道は解散した。(旧)名古屋鉄道は名古屋市と岐阜市を直結する都市間路線の形成を目指し、1928年(昭和3年)に押切町 - 新一宮間を開通させ、1930年(昭和5年)8月に美濃電気軌道を合併して翌月名岐鉄道と改称、1935年(昭和10年)4月29日には木曽川橋梁の完成により押切町 - 新岐阜間を全通させた。

一方、1910年(明治43年)11月21日に知多半島西岸の振興を目的として設立された愛知電気鉄道(愛電)は、1913年(大正2年)に現在の常滑線を全通させたのち、1922年(大正11年)に計画が宙に浮いていた東海道電気鉄道を合併してその幹線計画を引き継ぎ、豊橋方面への高規格路線を建設して1927年(昭和2年)6月1日に神宮前 - 吉田(現・豊橋)間を全通させた。同線の特急の表定速度59km/hは当時日本一であった。しかし、愛電の資本金総額を上回る建設費に世界恐慌による不況が重なって深刻な経営難に陥り、社長の藍川清成らの経営陣のもとでこれを脱した。

1935年(昭和10年)8月1日、名岐鉄道と愛知電気鉄道が対等合併して現在の名古屋鉄道株式会社が発足した(形式上は名岐鉄道が存続会社となって改称)。新社長に内定していた名岐の社長が合併の約2週間前に死去したため、初代社長には愛電の藍川清成が就任した。合併後は旧名岐の西部線と旧愛電の東部線を結ぶ連絡線の建設を進め、1941年(昭和16年)8月12日に省線(現・JR)名古屋駅前に地下駅の新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)を開業、1944年(昭和19年)9月1日に新名古屋 - 神宮前間の東西連絡線が開通して両路線網が金山駅でつながった。架線電圧の違い(西部線600V、東部線1,500V)から直通運転は戦後に持ち越されたが、1948年(昭和23年)5月16日に西部線主要路線の1,500V昇圧が完成して東西直通運転が開始され、新岐阜 - 豊橋間が名古屋本線と名称変更された。この間、戦中には瀬戸電気鉄道(1939年)・三河鉄道(1941年)・知多鉄道(1943年)など周辺事業者の合併が相次ぎ、現在の瀬戸線・三河線・河和線などが名鉄の路線となった。周辺事業者の多くはすでに名鉄と資本関係を持ち、統合の多くは事業者間の合意によったが、独立系の瀬戸電気鉄道と三河鉄道との交渉は難航し、三河鉄道とは鉄道省の仲介を経てようやく合併に至った。

戦後は事業の多角化を進め、1954年(昭和29年)には新名古屋駅の直上に名鉄百貨店を開業した。車両の近代化も進み、1959年(昭和34年)には量産車として日本初の料金不要冷房車となる5500系が登場、1961年(昭和36年)6月12日には前面展望室を持つパノラマカー(7000系)が就役して名古屋本線の特急に投入され、最高運転速度が110km/hに引き上げられた。名鉄は赤い電車で知られ、その車両のほぼすべてを日本車輌製造が製造している。1965年(昭和40年)に再開した国鉄高山本線への直通運転は、晩年は特急「北アルプス号」として2001年(平成13年)まで続いた。1973年(昭和48年)のオイルショック後は通勤輸送に力を注ぎ、1976年(昭和51年)に本格的な3扉通勤車6000系を導入、1978年(昭和53年)に瀬戸線を地下新線で都心の栄町まで延伸し、1979年(昭和54年)7月29日には豊田新線が開通して名古屋市営地下鉄鶴舞線との間で名鉄初の都市型相互直通運転を開始した。1984年(昭和59年)1月1日には貨物営業を廃止した。1988年(昭和63年)に登場した1000系「パノラマSuper」により、1990年(平成2年)からは名古屋本線特急の最高速度が120km/hとなった。

合併の結果多くの不採算路線を抱え、自動車産業が盛んな愛知県で自家用車との競合にもさらされた名鉄は、1988年(昭和63年)の岐阜市内線一部廃止を皮切りに路線の整理を進め、最終的に谷汲線をはじめとする岐阜地区の路線を含め、全営業路線の約5分の1に相当する路線を廃止した。2005年(平成17年)1月29日には空港線が開業して2000系「ミュースカイ」が運行を開始し、同年2月に開港した中部国際空港に乗り入れる唯一の鉄道会社となった。同年4月1日には岐阜600V線区(岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線)を全廃して全線が直流1,500V電化となり、総営業キロが東武鉄道を下回って私鉄第3位となった。2008年(平成20年)12月27日には、就役から半世紀近くを経たパノラマカー7000系が定期運行を終了した。2011年(平成23年)にはICカードmanacaを導入し、2013年(平成25年)には交通系ICカード全国相互利用サービスに対応した。2024年(令和6年)12月から2025年(令和7年)1月にかけて、本社事務所を名駅のエニシオ名駅へ移転した。

年表

  • 18946月25日、名古屋市内で馬車鉄道を運行する名目で愛知馬車鉄道が設立される(創業)。
  • 18981896年に名古屋電気鉄道と改称した同社が、京都電気鉄道に次ぐ日本で2番目の電車運行を開始。
  • 191011月21日、知多電車軌道が名称変更し、知多半島西岸の振興を目的とする愛知電気鉄道株式会社(愛電)が設立される。名鉄の東側の路線網を築いた前身会社で、1913年には現在の常滑線を全通させた。
  • 19216月13日、名古屋電気鉄道の全額出資により、郊外線部門を引き継ぐ(旧)名古屋鉄道株式会社が設立される(現在の会社の設立日)。
  • 19276月1日、愛知電気鉄道の豊橋線神宮前 - 吉田(現・豊橋)間が全通。特急の表定速度59km/hは当時日本一であった。
  • 19358月1日、名岐鉄道(1930年に美濃電気軌道を合併した(旧)名古屋鉄道が改称)と愛知電気鉄道が対等合併し、(新)名古屋鉄道株式会社が発足。初代社長には愛知電気鉄道社長の藍川清成が就任した。
  • 19418月12日、新名古屋地下トンネルが竣工し、省線(現・JR)名古屋駅前に地下駅の新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)が開業。
  • 19449月1日、東西連絡線新名古屋 - 神宮前間が営業開始。旧名岐系の西部線と旧愛電系の東部線が金山駅でつながる。
  • 19485月16日、白紙ダイヤ改正。西部線主要路線を1,500Vへ昇圧して東西直通運転を開始し、新岐阜 - 豊橋間を名古屋本線と名称変更。
  • 19616月12日、前面展望室を持つパノラマカー(7000系)が就役し名古屋本線の特急に投入。最高運転速度を110km/hに引き上げ。
  • 19797月29日、豊田新線が開通。名古屋市営地下鉄鶴舞線との間で名鉄初の都市型相互直通運転を開始。
  • 19841月1日、貨物営業を廃止(その後も鉄道車両の輸送は実施)。
  • 20051月29日、空港線が正式開業し2000系「ミュースカイ」が運行開始、2月開港の中部国際空港への空港連絡鉄道となる。4月1日には岐阜600V線区を全廃し、全線が直流1,500V電化となった。これにより総営業キロが東武鉄道を下回り、JRを除く私鉄で第3位に後退した。
  • 200812月27日、パノラマカー7000系が定期運行を終了。ミュースカイ以外の全特急(快速特急)が一部特別車編成での運行となる。

出典