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京成電鉄株式会社

Keisei Electric Railway Co., Ltd.

京成電鉄株式会社(けいせいでんてつ、英: Keisei Electric Railway Co., Ltd.)は、千葉県市川市に本社を置き、東京都区部東部と千葉県北部に鉄道路線を有する大手私鉄で、京成グループの中核企業である。日経平均株価の構成銘柄の一つでもある。社名は運営路線の起終点である東京の「京」と成田の「成」に由来する。

成田山新勝寺は江戸時代から多くの参拝客を集めており、1900年代に全国的な電気鉄道ブームが起きる中で、東京と成田を直結する電気鉄道が3者競願で計画され、後に3者は合同して1903年(明治36年)に押上 - 成田間を軌道条例によって出願した。1907年(明治40年)5月28日に特許を得て、1909年(明治42年)6月30日に京成電気軌道株式会社が設立された。日露戦争後の経済不況の中で株式募集は難航したといわれている。

A Keisei AE series operating the Skyliner airport express to Narita.
A Keisei AE series operating the Skyliner airport express to Narita.(英語) · Real Estate Japan · CC BY 2.0 · Wikimedia Commons

歴史

1912年4月27日に帝釈人車軌道(柴又 - 金町間)を買収し(京成最初の営業路線は人車軌道であった)、同年(大正元年)11月3日に押上駅 - 市川駅(仮)間と曲金駅(現・京成高砂駅) - 柴又駅間を開業した。延伸を重ねて1916年(大正5年)12月28日に船橋駅へ達し、1921年(大正10年)7月17日に船橋駅 - 千葉駅間が開業した。京成の千葉駅は省線の千葉駅よりも千葉市の中心部に近かった。1926年(大正15年)12月9日に津田沼駅 - 酒々井駅間、同月24日に酒々井駅 - 成田花咲町駅(仮駅)間を開業して東京と成田が結ばれた。成田では新勝寺門前により近い位置に駅を設ける案もあったが、門前の商店街の猛反発を受け、1930年(昭和5年)4月25日に現在の位置に京成成田駅を設置した。都心側では押上 - 浅草間の延伸を計画したが、東武との競願の中で1928年(昭和3年)に京成電車疑獄事件が発覚して社長・専務ら会社幹部が逮捕され、浅草延伸は断念に追い込まれた。その後、1930年(昭和5年)10月21日に筑波高速度電気鉄道を吸収合併してその免許を活用し、1931年(昭和6年)12月19日に青砥駅 - 日暮里駅間、1933年(昭和8年)12月10日に日暮里駅 - 上野公園駅(現・京成上野駅)間を開業して念願の都心延伸を果たした。日暮里 - 上野間の上野公園下の地下線は、東京の郊外電車としては初のケースであった。

創業時から電灯電力供給事業を兼業し、バス事業や土地分譲、谷津遊園の開設、1936年(昭和11年)の幕張での畜産加工工場(「京成ハム」「京成ソーセージ」などの製造販売)や湿布薬などの薬品の直営販売といった多角経営を展開した。大手私鉄の本体が食品・薬品事業を行ったのは、京成が唯一の例である。太平洋戦争下の1942年(昭和17年)に電灯電力供給事業を関東配電へ譲渡した。また陸上交通事業調整法の下で系列下の総武鉄道(2代)が東武に統合され、これが戦後に新京成電鉄を設立する動機になったといわれている。1943年(昭和18年)には海軍省・鉄道省の命令により日本占領下のセレベス島での鉄道建設・経営を請け負い、1944年(昭和19年)11月には南西方面海軍民政府からボルネオ島での鉄道建設も命じられたが、終戦によりいずれも放棄された。1945年(昭和20年)6月25日には社名を京成電鉄株式会社に改めた。戦後は鉄道連隊演習線跡地の払い下げを西武との激しい競合の末に獲得し、1946年(昭和21年)10月に新京成電鉄を創立した。1957年(昭和32年)の運輸省の方針決定により都営1号線(現・浅草線)への相互乗り入れが決まると、1959年(昭和34年)10月9日から12月1日までの50日間、運転を継続したまま全線の軌間を1372mmから1435mm(標準軌)に順次変更し、1960年(昭和35年)12月4日に押上駅 - 東中山駅間で相互直通運転を開始した。これは日本初の私鉄と公営地下鉄との相互直通運転であった。

1966年(昭和41年)に建設が決定した新東京国際空港(成田空港)へのアクセスを目指し、1968年(昭和43年)12月に新線免許を申請した。空港ターミナルビルへの乗り入れを拒否されたため第1・第2ターミナルビルの中間に駅を設けることとなり、1972年(昭和47年)11月に建設工事を終えたが、反対運動による開港延期で1978年まで営業できなかった。1973年(昭和48年)12月30日にAE形(初代)による特急の運行を京成上野駅 - 京成成田駅間で開始し、1978年(昭和53年)5月21日の成田駅 - 成田空港駅(初代、現・東成田駅)間開業とともにスカイライナーの空港乗り入れが始まった。一方、大型投資の最中にオイルショックに見舞われ、積極的な土地投資と多角経営への急傾斜も裏目に出て、1977年(昭和52年)度決算で無配に転落し、累積赤字は1980年(昭和55年)度上半期で133億円、1983年(昭和58年)度下半期で281億円に達し、1980年から1990年までの10年間、戦後の大手私鉄では唯一の暗黒時代を迎えた。25%に上る人員削減や系列百貨店の閉鎖、谷津遊園跡地などの資産処分を進めるとともに、京成が筆頭株主である傘下のオリエンタルランドが東京ディズニーランドの招致に成功したことなどで経営は好転し、1988年(昭和63年)度上半期に12年ぶりの経常利益を計上、1989年度上半期に累積赤字を解消し、同年度下半期には配当も復活した。1991年(平成3年)3月19日にはJR東日本と共同で現在の成田空港駅への乗り入れを実現し(旧・成田空港駅は東成田駅に改称)、1998年(平成10年)10月1日には千葉急行電鉄の路線を引き継いで千原線とした。2010年(平成22年)7月17日には成田空港線(成田スカイアクセス線)が開業、AE形(2代)スカイライナーの160km/h運転により日暮里 - 空港第2ビル間が最速36分で結ばれた。2013年(平成25年)9月17日に本社を千葉県市川市八幡(京成八幡駅前)に移転した。2025年(令和7年)4月1日には2022年(令和4年)に完全子会社化していた新京成電鉄を吸収合併して新京成線を松戸線に改称し、営業路線は26.5km増えて8線区・91駅となり、近鉄・東武・名鉄・東京メトロに次ぐ大手私鉄第5位の路線総延長となった。

年表

  • 19096月30日、京成電気軌道株式会社を設立(1903年に出願した押上 - 成田間などの特許を1907年5月28日に取得)。
  • 19124月27日に帝釈人車軌道(柴又 - 金町間)を買収(京成最初の営業路線)。11月3日に押上駅 - 市川駅(仮)間・曲金駅(現・京成高砂駅) - 柴又駅間が開業。
  • 19217月17日、船橋駅 - 千葉駅間が開業し千葉線が全通。京成の千葉駅は省線の千葉駅よりも市の中心部に近かった。
  • 192612月9日に津田沼駅 - 酒々井駅間、12月24日に酒々井駅 - 成田花咲町駅(仮駅)間が開業し、東京と成田が結ばれた。1930年4月25日に現在の京成成田駅が開業し、押上駅 - 成田駅間が全通。
  • 193312月10日、日暮里駅 - 上野公園駅(現・京成上野駅)間が開業し、吸収合併した筑波高速度電気鉄道の免許を活用した都心延伸が実現。上野公園下の地下線は東京の郊外電車として初のケースであった。
  • 19456月25日、京成電鉄株式会社に社名変更。同年2月20日には全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更していた。
  • 195910月9日から12月1日までの50日間、地下鉄との相互直通運転に備え、運転を継続したまま全線を11の区間に分けて軌間を1372mmから1435mm(標準軌)に順次変更。
  • 196012月4日、押上駅 - 東中山駅間で都営1号線(現・浅草線)との相互直通運転を開始。日本初の私鉄と公営地下鉄との相互直通運転であった。
  • 197312月30日、AE形(初代)を使用した「特急」が京成上野駅 - 京成成田駅間で運行開始。
  • 19785月21日、成田駅 - 成田空港駅(初代、現・東成田駅)間が開業し、スカイライナーが空港への乗り入れを開始。新線は1972年に完成していたが、反対運動による開港延期でこの日まで営業できなかった。
  • 19913月19日、駒井野分岐部 - 現・成田空港駅間が開業し、JR東日本と共同で空港ターミナルビルへの乗り入れを開始(旧・成田空港駅は東成田駅に改称)。
  • 20107月17日、成田空港線(成田スカイアクセス線)が開業。AE形(2代)スカイライナーによる160km/h運転で日暮里 - 空港第2ビル間が最速36分で結ばれ、同日に駅ナンバリングも一斉導入された。
  • 20254月1日、2022年9月1日の株式交換で完全子会社化していた新京成電鉄を吸収合併し、新京成線を松戸線に改称。営業路線は26.5km増えて91駅となり、大手私鉄第5位の路線総延長となった。

出典