歴史
伊予鉄道は1887年(明治20年)9月14日に設立され、1888年(明治21年)10月28日に最初の路線として、軌間762ミリの軽便鉄道である松山 - 三津間を開業した。これは四国初の鉄道であった。以後同社は、松山市駅を拠点に放射状に延びる郊外線と、松山城を囲む路面電車網へと路線を広げた。大手町線は、車両や古町の車庫・工場、運行体制を他の松山市内線と共有している。
同社は他社の買収によっても路線網を広げた。1921年(大正10年)4月1日に松山電気軌道を合併し、1923年(大正12年)6月30日には旧松山電気軌道線を1,435ミリ(標準軌)から1,067ミリに改軌した。この時点では、大手町線はまだ存在していなかった。
路線の起源は1920年代にさかのぼる。1927年(昭和2年)4月3日、古町 - 松山間の連絡線が地方鉄道法による鉄道として開業した。そして1936年(昭和11年)5月1日、古町 - 国鉄駅前(現在のJR松山駅前) - 西堀端間が軌道法による軌道として開業し、古町 - 松山間の連絡線は廃止された。現在の大手町線は、この1936年の開業に始まる。
1945年(昭和20年)7月26日の松山大空襲では、伊予鉄道の本社事務所や主要駅舎、車両工場が焼失して鉄軌道全線の運行が中止され、翌日から順次再開された。1960年代に入ると日本各地でモータリゼーションが進み、路面電車が次々と淘汰されていったが、松山の路面電車網は生き残り、1962年(昭和37年)には路線が延長された。松山市内線では1969年(昭和44年)12月1日に、松山城を囲む環状運転が始まった。
2001年(平成13年)10月12日には、「坊っちゃん列車」のレプリカが市内線で運行を開始した。その機関車は、軽便鉄道時代に伊予鉄道が使用した蒸気機関車をディーゼル機関車として復元したものである。伊予鉄道は2002年(平成14年)3月19日にモハ2100形超低床電車を、2017年(平成29年)9月21日に流線型のモハ5000形LRT車両を市内線に導入した。2024年(令和6年)3月13日には、市内電車でICOCAなどの全国交通系ICカードが導入された。
3つの系統(1号線、2号線、5号線)と坊っちゃん列車が同線を運行する。1号線と2号線は、同じ環状の経路を互いに逆回りで走る。高架化が予定されるJR松山駅周辺の再開発に伴い、市内電車を同駅から南江戸の松山環状線交点まで延長し、将来的には松山空港への乗り入れも見据える計画が決定された。しかし、2024年(令和6年)3月の松山駅まち会議の資料では図面から市内線の延長区間の線路が消されており、延長計画が事実上凍結したことが窺える。
この路線の駅
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年表
- 18879月14日:伊予鉄道会社設立(網の背景)。
- 188810月28日:伊予鉄道が最初の路線松山 - 三津間(762ミリ)を開業。四国初の鉄道(網の背景)。
- 19214月1日:伊予鉄道が松山電気軌道を合併(網の背景)。
- 19236月30日:旧松山電気軌道線を1,435ミリから1,067ミリに改軌(網の背景、大手町線は未開業)。
- 19274月3日:古町 - 松山間の連絡線が地方鉄道法による鉄道として開業(大手町線の前身)。
- 19365月1日:古町 - 国鉄駅前(現・JR松山駅前) - 西堀端間が軌道法による軌道として開業。古町 - 松山間の連絡線は廃止。現在の大手町線の開業。
- 19457月26日:松山大空襲により本社・主要駅舎・車両工場が焼失し鉄軌道全線が運行中止、翌日以降順次復旧(網の背景)。
- 1962松山市内線が延長される(網の背景)。
- 196912月1日:松山市内線で環状運転を開始。現在も1号線・2号線がこの環状運転で大手町線を走る(網の背景)。
- 200110月12日:「坊っちゃん列車」のレプリカが市内線で運行開始し大手町線を走る(網の背景)。
- 20023月19日:モハ2100形超低床電車が松山市内線で運行開始(網の背景)。
- 20179月21日:流線型のモハ5000形LRT車両が市内線で運行開始(網の背景)。
- 20243月13日:松山の市内電車でICOCAなどの全国交通系ICカードを導入(網の背景)。