歴史
函館の路面電車は、東京以北の日本では最も古い路面電車網である。その起源は、1894年(明治27年)1月に設立された私設の亀函馬車鉄道にあり、同社は1897年(明治30年)12月12日に弁天町(後の函館どつく前)と東川町(後の東雲町)との間に最初の馬車鉄道を開業した。翌年には馬車鉄道の路線が町内に急速に広がり、1898年(明治31年)1月9日には十字街から鶴岡町(後の函館駅前)を経て東川町に至る区間が開業した。
1898年8月、同社は他社と合併して函館馬車鉄道と改称し、路線網はさらに拡大していった。1911年(明治44年)10月1日には電力会社の函館水電が馬車鉄道会社を買収し、この経営者のもとで路線が電化されることになった。電気運転は1913年(大正2年)6月29日に東雲町 - 湯川間で始まり、これは北海道初の路面電車であった。続いて中心部の弁天町 - 十字街 - 東雲町間が同年10月31日に電化された。
大森線そのものが電化されたのは、その翌年である。1914年(大正3年)10月31日に十字街 - 函館駅前 - 海岸町間と、函館駅前 - 松風町間(後者が大森線にあたる)が電化され、この日をもって全線で電気運転が開始された。
その後も経営は何度か移り変わり、函館水電は1934年(昭和9年)に帝国電力となり、電車・バス事業はさらに譲渡を重ねたのち、1943年(昭和18年)11月1日に函館市が路線を引き継いで市営の交通組織が発足した。1952年(昭和27年)10月には公営企業としての函館市交通局に改組され、以後20世紀の終わりまで、この交通局が市電を運営した。最盛期には、この路線網は6路線・合計17.9キロメートルに達し、12の運行系統が走っていた。
20世紀後半の乗客減少により、路線網は縮小を余儀なくされた。1978年(昭和53年)、1992年(平成4年)、1993年(平成5年)に各区間が廃止され、現在の4路線・10.9キロメートル・2系統にまで縮小した。こうした路線廃止を経ても大森線は存続した。その0.5キロメートルは、松風町で湯の川線と、函館駅前で本線とを結ぶ唯一の線路であり、これがなければ湯の川方面からの電車は駅前に達することも、十字街方面へ進むこともできない。
その役割は、現存する2つの系統に表れている。2系統と5系統はいずれも湯の川を起点とし、松風町と函館駅前の間で大森線を通り、十字街を経て、2系統は谷地頭へ、5系統は函館どつく前へと進む。そのため、大森線は正式には独立した路線であるものの、日々の運行においては、函館駅前を通るすべての電車が用いる連絡線にほかならない。
2011年(平成23年)には函館市交通局が市の水道局と統合され、函館市企業局交通部と改称された。これが現在の運営者名である。その後、2017年(平成29年)3月25日にはIC乗車券「ICAS nimoca」が導入され、市電の運賃をICカードで支払えるようになった。
この路線の駅
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年表
- 18941月:私設の亀函馬車鉄道株式会社が設立される。
- 189712月12日:亀函馬車鉄道が弁天町 - 東川町間に函館初の馬車鉄道を開業。東京以北の日本で最初の路面電車であった。
- 18981月9日:十字街 - 鶴岡町(後の函館駅前) - 東川町間が馬車鉄道として開業。
- 18988月19日:函館鉄道と合併し、函館馬車鉄道に改称。
- 191110月1日:函館水電が函館馬車鉄道を買収。
- 19136月29日:東雲町 - 湯川間が電化され、電気運転を開始。北海道初の路面電車であった。
- 191410月31日:函館駅前 - 松風町間(大森線)および十字街 - 函館駅前 - 海岸町間が電化され、全線で電気運転を開始。
- 194311月1日:函館市に譲渡され、函館市役所交通局が発足。
- 195210月1日:公営企業としての函館市交通局が発足。
- 197811月1日:本線の一部(ガス会社前 - 五稜郭駅前間)が廃止され、乗客減少に伴う路線廃止の最初となる。
- 19924月1日:東雲線(宝来町 - 松風町間)が廃止(-1.6 km)。
- 19934月1日:本線の一部(函館駅前 - ガス会社前間)と宮前線が廃止(-3.6 km)され、4路線・10.9 kmとなる。
- 20114月1日:函館市水道局と統合し、函館市企業局交通部となる。
- 20173月25日:IC乗車券「ICAS nimoca」の利用を開始。
出典
最終更新:2026年10月16日