歴史
この路線は国有鉄道ではなく、現在のことでんの前身3社の一つである高松電気軌道によって建設された。同社は1907年5月30日、高松市新湊町と大川郡長尾村との間を結ぶ路線について軌道特許状の下付を受け、1909年10月28日に正式に設立された。
路線は1912年4月30日に軌道として開業し、現在の瓦町駅志度線口付近にあった出晴駅と長尾との間を結んだ。軌間は1,067ミリメートルの狭軌で、直流600ボルトで電化されていた。1912年中には長尾から白鳥本町方面へ延伸する免許も取得されたが、1916年に失効し、この区間は建設されなかった。1910年代から1930年代にかけては、中間駅がいくつも開設・改称・廃止された。
戦時中、長尾線は経営の面でも設備の面でも大きく変わった。1943年11月1日、地元の3社である讃岐電鉄・琴平電鉄・高松電気軌道が合併して高松琴平電気鉄道が発足し、長尾線は現在も属することでんグループに組み込まれた。1945年2月1日には、路線は軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道へと変更された。そして1945年6月、軌間が1,067ミリメートルから1,435ミリメートルの標準軌に改められた。改軌は出晴 - 高田間が6月2日、高田 - 長尾間が6月26日に行われ、全線の改軌完了とともにことでんの市内線への乗り入れが始まった。
1945年7月、空襲で焼失していた出晴駅が廃止され、長尾線の瓦町駅は琴平線の琴電高松駅(現在の瓦町駅)に統合されて、同駅が路線の起点となった。戦災のため市内線への乗り入れは休止され、同じ頃に貨物営業も停止された。戦後の数十年間には、1947年の真行寺駅(のちの井戸駅)開業や1950年代初頭の瓦町側の進入経路の再編など、中間駅にさらに小さな変化が加えられた。
近代化は20世紀後半に少しずつ進んだ。1976年12月26日には全線の架線電圧が600ボルトから1,500ボルトに昇圧された。1977年11月20日には自動列車停止装置(ATS)が設置された。1978年11月には、鹿伏中央踏切で列車とダンプカーが衝突して2人が死亡する事故が起きた。
近年、長尾線はことでんの路線網により緊密に組み込まれた。1994年6月26日には高松築港への直通運転が始まった。2002年9月28日には学園通り駅が開業し、2006年7月3日からは18メートル級の大型車である1200形が運用を開始した。2023年3月18日には瓦町 - 長尾間で終日のワンマン運転が始まった。線内を走る電車の多くは、かつて大都市圏で通勤輸送に使われていた車両である。
この路線の駅
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年表
- 19075月30日:高松電気軌道に対し、高松市新湊町 - 大川郡長尾村間ほかについて軌道特許状が下付される。
- 190910月28日:高松電気軌道が設立される。
- 19124月30日:出晴(現在の瓦町駅志度線口付近) - 長尾間が軌道として開業。軌間1,067mm、直流600Vで電化。
- 19164月24日:1912年に取得した長尾 - 白鳥本町間延伸の免許が失効し、延伸は建設されないまま終わる。
- 194311月1日:讃岐電鉄・琴平電鉄・高松電気軌道が合併し、高松琴平電気鉄道(ことでん)が発足。
- 19452月1日:出晴 - 長尾間が軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更される。
- 19456月2日・6月26日:軌間を1,067mmから1,435mmの標準軌に改軌(出晴 - 高田間が6月2日、高田 - 長尾間が6月26日)。改軌後、ことでんの市内線への乗り入れが始まる。
- 19457月30日:空襲で焼失した出晴駅を廃止し、長尾線の瓦町駅を琴平線の琴電高松駅(現在の瓦町駅)に統合(同駅が起点となる)。これに先立つ7月4日には、戦災で市内線への乗り入れが中止され、貨物電車の焼失により貨物営業も停止されていた。
- 197612月26日:全線の架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧する。
- 197711月20日:自動列車停止装置(ATS)が設置される。
- 197811月3日:鹿伏中央踏切で列車とダンプカーが衝突し、2人が死亡する事故が発生。
- 19946月26日:高松築港への直通運転が開始される。
- 20029月28日:学園通り駅が開業。
- 20067月3日:18メートル級の大型車である1200形が運用を開始。
- 20233月18日:瓦町 - 長尾間で終日全列車のワンマン運転が始まる。
出典
最終更新:2026年10月16日