歴史
1923年8月8日に、仮称「水間蒸気鉄道株式会社」として申請した泉南郡内の路線の鉄道免許状が下付され、1924年4月17日に資本金40万円をもって水間鉄道株式会社が設立された。同社は、当時紡績・繊維産業で栄えていた貝塚の地元有志による寄付金で設立された、純民間資本の鉄道会社であった。
路線は段階的に開業した。1925年12月24日に最初の区間である貝塚南駅(のちの海塚駅)から名越駅までが開通して水間線が開業し、続いて同年12月28日には南海の貝塚駅と貝塚南駅の間に短い貨物線が開通して貨物営業を開始した。残る名越駅から水間駅(現在の水間観音駅)までの区間は1926年1月30日に開通し、寺院までの全線が開業した。貝塚駅 - 貝塚南駅間の旅客営業は1934年1月20日に開始された。終点の水間観音駅の駅舎は1926年の全通時から使われており、1999年に国の登録有形文化財となった。
戦後の数十年間、水間線は貝塚市内陸部の住民を運び、1970年度には約386万人が利用した。1972年には貨物営業が廃止され、1985年には閉塞方式がタブレット閉塞から自動閉塞へ変更された。1990年には架線電圧が600ボルトから直流1,500ボルトへ昇圧され、全車両が、東急から譲り受けた1962年から1966年にかけて製造された元東急7000系電車に置き換えられた。譲受車は10両で、2006年からそのうち8両が順次更新改造のうえ1000形に改番されて2両編成4本となり、残る2両は定期運用から外された。
1980年代のバブル期に、同社は沿線外での不動産事業を積極的に展開し、最盛期には約20億円を売り上げたが、不動産事業はバブル崩壊後に不振に陥り、多額の借り入れが経営を圧迫した。さらに乗客も減少したため、水間鉄道は自主再建を断念し、2005年4月30日に大阪地方裁判所へ会社更生法の適用を申請して経営破綻した。
2005年6月30日に外食チェーンのグルメ杵屋が支援企業に決定した。同社会長の椋本彦之は、戦時中に貝塚へ疎開していた縁から、水間鉄道の経営再建支援を名乗り出た。再建はグルメ杵屋の傘下で進み、2006年4月6日に同社が株式を100パーセント取得して水間鉄道はその完全子会社となり、同年6月16日には大阪地方裁判所より会社更生計画終結の決定を受けた。これにより会社更生手続きが完了し、新生会社として再出発した。
新たな経営の下で、水間鉄道は運賃収受を近代化した。ICカード導入を視野に2007年にスルッとKANSAI協議会に加盟し、2009年6月1日にはPiTaPaを導入するとともに全線をワンマン運転とし、水間駅を水間観音駅へと改称した。2013年3月23日には交通系ICカードの全国相互利用に対応した。水間観音駅が水間寺の最寄り駅であることから、同社は大晦日に初詣客のための終電延長運転を実施しており、かつては終夜運転を行っていた。
この路線の駅
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年表
- 19238月8日:仮称「水間蒸気鉄道株式会社」として申請した泉南郡内の路線の鉄道免許状が下付される。
- 19244月17日:資本金40万円をもって水間鉄道株式会社が設立される。当時紡績・繊維産業で栄えていた貝塚の地元有志の寄付金による。
- 192512月24日:最初の区間、貝塚南(のちの海塚)- 名越間が開業。12月28日には南海貝塚 - 貝塚南間の貨物線が開通し貨物営業を開始。
- 19261月30日:名越 - 水間(現・水間観音)間が開通し、水間寺までの全線が開業。
- 19341月20日:貝塚 - 貝塚南間で旅客営業を開始。
- 1972水間線の貨物営業が廃止される。
- 1985水間線の閉塞方式がタブレット閉塞から自動閉塞へ変更される。
- 1990架線電圧を600Vから直流1,500Vへ昇圧し、全車両を元東急7000系(1962-1966年製)に置き換え。東急から10両を譲受。
- 1996未成線(清児 - 犬鳴間)の免許が廃止される。
- 20054月30日:1980年代の不動産事業がバブル崩壊後に不振に陥ったことを受け、大阪地方裁判所へ会社更生法の適用を申請し経営破綻。6月30日:外食チェーンのグルメ杵屋が支援企業に決定。
- 20064月6日:グルメ杵屋が株式を100%取得し完全子会社化。6月16日:大阪地方裁判所より会社更生計画終結の決定を受け、会社更生手続きが完了。
- 20096月1日:PiTaPaを導入、全線をワンマン運転化し、水間駅を水間観音駅へ改称。
- 20133月23日:交通系ICカードの全国相互利用に対応する。
出典
最終更新:2026年10月16日