歴史
日本国有鉄道(国鉄)は1970年3月1日に盛線として盛 - 綾里間(9.1キロメートル)を開業し、1973年7月1日には綾里 - 吉浜間(さらに12.5キロメートル)を延伸開業した。釜石へと続く残りの区間はなお建設中で、路線は長年にわたって本来の北の終点に達しないままであった。
盛線はその後、廃止の対象とされた。しかし路線は放棄されず、1981年には岩手県などが中心となって、国内初の「第三セクター」(公民共同出資)鉄道会社として三陸鉄道が設立された。1984年4月1日、同社は盛 - 釜石間の全線を南リアス線として開業した。すなわち、旧国鉄盛線の区間が三鉄へ転換されるとともに、新たに建設された吉浜 - 釜石間(15.0キロメートル)がついに開業して全線が開通した。同じ日に、同社は北側の北リアス線も開業しており、この二つの線が合わさって三陸鉄道の開業当初の路線網を形成した。
四半世紀にわたり、この路線は海岸沿いで地域の旅客輸送を担った。2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震と、それに伴う津波が三陸海岸を襲った。全線が不通となり、三陸鉄道の二つの線では、駅舎や橋梁を含めおよそ300か所で被害が記録され、津波によって約5.8キロメートルの線路が流失した。
南リアス線の運行は二段階で再開された。2013年4月3日には盛 - 吉浜間(21.6キロメートル)が運行を再開し、路線の南側の区間で列車が復活した。完全復旧は2014年4月5日のことで、この日に吉浜 - 釜石間(15.0キロメートル)が運行を再開し、南リアス線は再び全線で運行されるようになった。これは同月に達成された三陸鉄道全線の復旧の一環であった。
三鉄の二つの線の間にあった釜石 - 宮古間は、JR東日本の山田線の区間であった。1930年代に鉄道省山田線の一部として順次開通したこの区間も、津波で寸断されていた。JR東日本はこの区間の復旧工事を行ったうえで、三陸鉄道へ移管した。2019年3月23日にその移管が実現し、釜石で南リアス線と、宮古で北リアス線とがつながって、大船渡市の盛から久慈までを結ぶ営業キロ163.0キロメートル・41駅の一続きのリアス線が形成された。
南リアスの名は、統合された路線のうち盛 - 釜石間(全長163.0キロメートルのうちの36.6キロメートル)を指す制度上の区間名として残っており、本地図もこの名称を用いている。
この路線の駅
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年表
- 19703月1日:国鉄が盛線として盛 - 綾里間(9.1km)を開業。後の南リアス線の最初の区間。
- 19737月1日:国鉄盛線が綾里 - 吉浜間(12.5km)を延伸開業。釜石へ続く区間は建設中。
- 1981岩手県などが中心となって、廃止対象とされた国鉄の路線を引き継ぐため、日本初の第三セクター鉄道会社として三陸鉄道を設立。
- 19844月1日:三陸鉄道が盛 - 釜石間(36.6km)の全線を南リアス線として開業。旧国鉄盛線が転換されるとともに、新設の吉浜 - 釜石間(15.0km)が開業して全通。同日に北リアス線も開業。
- 20113月11日:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により全線が不通。三陸鉄道の二線で約300か所が被災し、約5.8kmの線路が流失。
- 20134月3日:盛 - 吉浜間(21.6km)が運行を再開し、路線の南側の区間で列車が復活。
- 20144月5日:吉浜 - 釜石間(15.0km)が運行を再開し、南リアス線が完全復旧。同月に三陸鉄道全線の復旧が達成された。
- 20193月23日:復旧した山田線の釜石 - 宮古間がJR東日本から三陸鉄道へ移管され、釜石で南リアス線と、宮古で北リアス線とがつながって一続きのリアス線となる。
- 2019統合されたリアス線は盛(大船渡市)から久慈まで163.0km・41駅で、南リアス線はその盛 - 釜石間(36.6km)の制度上の区間として残る。
- 20193月23日:三陸鉄道が、営業キロ36.6kmの南リアス線を含む盛 - 久慈間の全線の案内上の呼称を「リアス線」に統一。
出典
最終更新:2026年10月16日