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城北線

Johoku Line

城北線(じょうほくせん)は、愛知県春日井市の勝川駅から愛知県清須市の枇杷島駅に至る、名古屋の北部・西部を走る営業キロ11.2キロメートルの通勤鉄道である。

列車は、JR東海(東海旅客鉄道)の100%出資子会社であるJR東海交通事業(旧・東海交通事業、略称TKJ)が運営している。軌間は1,067ミリメートルの狭軌で、大部分が複線となっており、駅は6駅ある。全線非電化でディーゼル車両により運行されており、ゆとりーとラインなどのガイドウェイバスを除けば、愛知県内に残る唯一の非電化旅客鉄道路線である。

名古屋西区北区千種区北名古屋市東区中区2 km
城北線の路線図 · 愛知県 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線の起源は、国鉄時代の貨物線計画にある。瀬戸と稲沢を結ぶ鉄道は、1962年に改正鉄道敷設法の下で予定線の一つとなった。1960年代には、日本国有鉄道(国鉄)が、勝川で中央本線と、枇杷島で東海道本線とを結ぶ貨物線のより具体的な計画を立てた。工事は1976年3月に始まったが、建設中に国鉄の財政悪化のあおりを受け、のちに中断された。

建設途上の路線は、国鉄分割民営化に際してJR東海が経営することとなり、同社はのちにこれを貨物線としてではなく旅客鉄道として蘇らせた。計画を引き継いだJR東海は、1989年12月1日、勝川駅 - 枇杷島駅間(11.7キロメートル、当時は同社の瀬戸線の一部とされた)の工事施行認可を運輸大臣に申請した。1990年8月23日までには、この路線を同社自身ではなく、100%出資の子会社(のちの東海交通事業、現在のJR東海交通事業)が運営し、他者の保有する施設を使う第二種鉄道事業として営業する方針が決定されていた。

城北線は2段階に分けて開業した。最初の区間である勝川駅 - 尾張星の宮駅間が1991年12月1日に開業し、残る尾張星の宮駅 - 枇杷島駅間が1993年3月18日に開業して全線が開通した。全通時の路線は11.2キロメートルで、勝川・味美・比良・小田井・尾張星の宮・枇杷島の6駅を結ぶ。小田井駅から徒歩約10分の上小田井駅では、名古屋市営地下鉄鶴舞線と名鉄犬山線に乗り換えられる。両端では勝川駅で中央本線と、枇杷島駅で東海道本線と接続しており、いずれも貨物線として計画された当時に結ぶ予定だった幹線である。

路線の運営形態は、その資金調達の仕組みを反映している。同線は日本鉄道建設公団が建設したもので、JR東海が同公団の後継である鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構、JRTT)に賃借料(借損料)を支払い、JR東海の子会社であるTKJが第二種鉄道事業者として列車を運行している。JR東海による鉄道・運輸機構への賃借料の支払いは、2032年に終了する予定である。

城北線は、他路線との接続の悪さや、JR中央本線の同名駅から離れて位置する勝川駅の不便さもあって、利用者の少ない路線のままとなっている。2009年に中央本線の勝川駅が改良された際には、将来的に城北線をJR駅に乗り入れさせられるよう、そこに意図的に空間が設けられた。この乗り入れは、長く議論されてきた構想である。

この路線の駅

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年表

  • 1962瀬戸と稲沢を結ぶ鉄道が、改正鉄道敷設法の下で予定線の一つとなる。
  • 19763月:日本鉄道建設公団が、勝川(中央本線)と枇杷島(東海道本線)を結ぶ貨物線として建設を開始するが、のちに国鉄の財政悪化のあおりを受け、工事は中断される。
  • 198912月1日:JR東海が、勝川駅 - 枇杷島駅間(11.7キロメートル、当時は瀬戸線の一部)の工事施行認可を運輸大臣に申請する。
  • 19908月23日:同日までに、JR東海が、同線の運営主体を100%出資の子会社(のちの東海交通事業、現在のJR東海交通事業)とする方針を決定する。
  • 199112月1日:城北線として勝川駅 - 尾張星の宮駅間が開業する。
  • 19933月18日:尾張星の宮駅 - 枇杷島駅間が開業し、11.2キロメートル・6駅の路線が全通する。
  • 2009中央本線の勝川駅が改良され、将来的な城北線の乗り入れに備えた空間が設置される。
  • 2032(予定)JR東海が鉄道・運輸機構(旧・鉄道公団)に路線の賃借料(借損料)を支払う契約が終了する。

出典