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城北線

Iyotetsu Johoku Line

城北線(じょうほくせん)は、愛媛県松山市内を全線にわたって走る、伊予鉄道が所有する営業キロ2.7キロメートルの鉄道路線である。軌間は1,067ミリメートルで、直流600ボルトの架空電車線方式により電化されており、伊予鉄道の松山市内線の一部を構成して、路面電車型の車両により運行される。この路線は市内線の二つの環状系統、すなわち1号線と2号線が、古町と平和通一丁目との間を走るもので、停留場は全部で9か所、全線が単線である。

松山松山市2 km
城北線の路線図 · 愛媛県 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

松山市内線の他の路線と同様に運行されているにもかかわらず、城北線は法制度上、特異な位置を占めている。伊予鉄道の市内線の他の路線が軌道法による軌道であるのに対し、城北線はそのなかで唯一、鉄道事業法による鉄道として扱われている。

この路線は道後鉄道の手によって始まり、1895年に軌間762ミリメートルの軽便鉄道として開業し、蒸気機関車により運行された。当初の経路は現在の城北線とは異なっており、木屋町から道後(後の道後温泉)までの間は、現在の樋又通りを東へ進み、当時城北練兵場があった現在の愛媛大学の北側を通っていた。1895年8月22日の開業時には、古町から道後を経て松山(後の一番町)までを結んでいた。

1900年、道後鉄道は伊予鉄道に合併され、伊予鉄道はこの路線を道後線の名で運行し続けた。1911年8月8日、道後線の全線が762ミリメートルから1,067ミリメートルへと改軌されるとともに電化された。道後を経由する旧来の経路はその姿のままでは長く残らず、1926年には道後 - 一番町間が廃止された。

現在の形の城北線は1927年にさかのぼる。同年4月3日、松山の市街地により近いところを走る木屋町 - 一万(現在の上一万)間の新しい区間が開業し、旧道後線の古町 - 木屋町間が新たな城北線に編入された。残っていた木屋町 - 道後間は同時に廃止された。廃止された木屋町 - 道後間の線路跡は、今日では樋又通りとして残っている。

この路線は、松山の環状運転の成立とともに再び姿を変えた。それまで列車は木屋町方面から道後温泉方面へと直通していたが、1969年に伊予鉄道が城北線・城南線にまたがる環状運転を開始する際、上一万の分岐は同年12月1日に警察署前方面を向くように改められた。城北線の平和通一丁目 - 上一万間は正式に廃止され、城南線の一部として敷設し直された。この連絡用の線路は、2018年にはそれ自体が「連絡線」と改称されることになる。

伊予鉄道の二つの環状系統は、いずれも城北線の全線を走る。1号線は松山市駅からJR松山駅前・木屋町・鉄砲町・大街道を経て松山市駅に戻り、2号線は同じ経路を逆方向に回る。全線が単線で、行き違いができるのは古町・木屋町・鉄砲町の3停留場だけであるため増発が難しく、昼間は1号線・2号線とも10分間隔で運転されている。閉塞方式はトロリーコンタクター式の特殊自動閉塞式である。

この路線の駅

年表

  • 18958月22日:道後鉄道により、古町から道後を経て松山(後の一番町)に至る軌間762mm・蒸気運転の路線が開業する。
  • 19005月1日:道後鉄道が伊予鉄道に合併され、道後線となる。
  • 19118月8日:道後線全線の軌間を762mmから1,067mmに改軌し、電化する。
  • 19265月2日:道後線の道後 - 一番町間が廃止される。
  • 19274月3日:城北線の木屋町 - 一万(現在の上一万)間が開業。道後線の古町 - 木屋町間を城北線に編入し、木屋町 - 道後間は廃止して、現在の経路となる。
  • 196912月1日:城北線・城南線の環状運転開始に伴い、上一万の合流を警察署前方面へと変更。城北線の平和通一丁目 - 上一万間は廃止され、城南線として新たに敷設される。
  • 2018敷設し直された平和通一丁目 - 上一万間の連絡用の線路(それまで城南線の支線)が、「連絡線」に改称される。

出典