丹後海陸交通の路線約2分で読めます

天橋立鋼索鉄道

Amanohashidate Cable Car

天橋立鋼索鉄道(あまのはしだてこうさくてつどう)は、京都府宮津市にある営業キロ0.4キロメートルのケーブルカー(鋼索鉄道)路線で、丹後海陸交通(丹海)が運営している。府中駅から傘松駅までを結び、軌間1,067ミリメートル、最急勾配461パーミルで高低差130メートルを登る。

天橋立ケーブルカー、傘松ケーブルとも呼ばれ、正式な路線名は定められていない。日本三景の一つである天橋立から、傘松公園を経て成相山の成相寺へと至る参詣ルートの一区間をなし、ケーブルカーにはリフトが併設されて乗車券は共通となっている。バスや観光船も営む丹後海陸交通にとって、ケーブルカー路線はこの一路線のみである。

宮津市2 km
天橋立鋼索鉄道の路線図 · 京都府 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

1924年(大正13年)6月21日、丹後自動車に対して鉄道免許状が下付され、1925年(大正14年)12月5日には成相電気鉄道が設立された。1926年(大正15年)5月5日、丹後自動車が鉄道敷設権を成相電気鉄道に譲渡することが許可され、同社がケーブルカーを建設した。

ケーブル線は1927年(昭和2年)8月13日に開業し、成相電気鉄道が府中 - 傘松間の運行を開始した。同年12月22日には社名を天橋立鋼索鉄道へと改め、これが今日まで続く路線名となった。路線は成相寺への参詣路として建設されたもので、沿線からは天橋立も望める。

1929年(昭和4年)8月5日には同社が傘松 - 成相寺間で連絡の乗合自動車(バス)の運行を開始し、ケーブルカーの山上駅と、ルートの最終目的地である成相寺とを結んだ。

太平洋戦争中の1944年(昭和19年)2月11日、ケーブルカーは不要不急線として廃止され、その施設は国に回収された。これは戦力増強に資するための政府の指導によるものであった。同年5月31日には天橋立鋼索鉄道会社そのものが解散し、路線はその後数年にわたって廃止されたままとなった。

戦後の1950年(昭和25年)5月18日、府中 - 傘松間の地方鉄道免許が新たに丹後海陸鉄道に下付され、1951年(昭和26年)8月12日には丹後海陸交通の運営によって路線が再開業した。1962年(昭和37年)4月22日には昭和天皇と香淳皇后が県下行幸啓の際にこの路線を利用した。

現用車両の車体は1975年にアルナ工機で製造されたもので、車体長7.95メートルは、日本の鉄道事業法によるケーブルカーの旅客車としては最短級である。列車は15分間隔・所要4分で運行され、営業時間は時期によって変わる。府中駅のホームは78パーミルの斜面に設けられ、階段状ではなくスロープとなるほどなだらかである。2025年(令和7年)8月9日には、同じ阪急阪神東宝グループで2023年に廃線となった能勢電鉄妙見の森ケーブルから巻上機を譲り受けて更新のうえ運行を開始した。

この路線の駅

本マップ収録の全2駅(五十音順)。各駅を選ぶとその駅のページを開けます。

年表

  • 19246月21日:丹後自動車に対し鉄道免許状が下付される。
  • 192512月5日:成相電気鉄道が設立される。
  • 19265月5日:丹後自動車が鉄道敷設権を成相電気鉄道に譲渡することが許可される。
  • 19278月13日:成相電気鉄道が府中 - 傘松間を開業。12月22日、社名を天橋立鋼索鉄道に変更。
  • 19298月5日:傘松 - 成相寺間で乗合自動車(バス)の運行を開始。
  • 19442月11日:不要不急線として廃止され、施設は戦力増強のため国に回収される。5月31日、天橋立鋼索鉄道会社が解散。
  • 19505月18日:府中 - 傘松間の地方鉄道免許が丹後海陸鉄道に下付される。
  • 19518月12日:丹後海陸交通により府中 - 傘松間が再開業する。
  • 19624月22日:昭和天皇・香淳皇后が県下行幸啓の際に当線を利用する。
  • 1975現用車両の車体がアルナ工機で製造される。車体長7.95mは鉄道事業法によるケーブルカーの旅客車として最短級。
  • 20258月9日:同じ阪急阪神東宝グループで2023年に廃線となった能勢電鉄妙見の森ケーブルから巻上機を譲り受け、更新のうえ運行を開始する。

出典